Monthly Archives: 2月 2015

とんだアウトロー伝説

photoスタージスについてもう少しだけ付け加えておきたい。スタージスに以前アウトロー伝説が広まっていた。この街にきているアウトローバイカーのバイクに触れたりしようもんなら腕を切り落とされるとか、女性にからんでトラブルとなればすぐ銃が出てくるなど、昔のバイクムービーさながらの荒っぽい話が飛び交っていた。僕自身まだバイカーを雑誌や映画でしか見たことのなかった若い頃、スタージスではないがあるクラブのメンバーの良く出来ていたチョッパーを舐めるように写真を撮っていた時、まあこれはダメかなあと思うようなシーンにもあったが、本当にヤバいことはあった。これは今でもあまり変わらないのだけれど、僕らがそのテリトリーに入った時の振る舞いと立ち位置しだいなのだ。テリトリーに近づかなければ良いし、それなりにルールは守ろう。
これは僕が現場にいた訳ではなく、その当事者とのインタビュー話なのだが…
70年代後半のスタージスでのことだ。とあるモーターサイクルクラブのメンバーたちが近くの街でパーティを楽しんでいた。そのクラブの支部メンバーが開いている街はずれのバーだった。プライベートパーティに近いものであっても、小さな田舎町では当然ながら町中が変な警戒をしていた。にもかかわらず彼らもそのうちには閉められた店内でのパーティでは納まりきれずに、バイクで隣町に繰り出した。そして隣町のバーに数人のバイカーがそれなりの秩序を持ちながら酒を楽しんでいた(そうとも思えないがそう聞いた)。彼らの自由奔放な楽しみ方は保守的な環境で生きていなければならなかった女性の何かをちょいとばかり刺激したのだろう。中には恐いもの見たさに進んで彼らと交わろうとするものもいた。バイカーたちにとっては思っても見ない大歓迎と勘違いする。彼女たちにしてみれば映画で見たアウトローの様な外見とは背中合わせの柔らかな彼らの対応に、好奇心を優先してそのパーティにも参加してくるものも出てきたのだろう。
そうなると今までジッと静かに見守っていた街の男たちも黙っていない、普段何も気にもしていない女性に対してでも、自分のテリトリーを犯されたような錯覚をもちなんだか面白くないのだろう。ある意味では嫉妬かもしれない。バイカーたちの自由奔放な振る舞いに街の男たちは手に汗をかき始めたのだった。そして一人の若者にあるメンバーが酔ってふらつきながら歩く背後から刺されてしまった。
地元の警察はこの傷害事件の事情を明らかにするために、被害者側ではあるのだが彼らのクラブを事情徴収ということで大部隊でバーを囲み、パーティを封鎖した。これでこの事件は次の日のローカル新聞に載って一件落着と思えたが、その大捕り物騒動の次の日だった。メンバーと街の男たちとは気持ちの覚めやらぬまま、またもやちょいとしたいざこざとなった。もちろん警戒中の警官は素早く止めに入った。ところが興奮するメンバーは仲裁役に入った警官までのしてしまった。おまけに大人気も無く、こともあろうに警官のバッチまで剥ぎ取ってしまった。そうなってしまうとウエスタンムービーさながらの、アウトロー集団 対 保安官と街の人たちの戦いになってしまった。もちろん彼らはアウトローとしてジェイル送りになってしまったのだった。
40年も前の話だが何とも荒っぽいことか。その後暫くこの街にはバイカーが入ることを禁止されてしまったのだった。開拓時代にゴールドを求めて集まった、ワイルド・ビル・ヒコックやカラミティジェーンなどの伝説もつアウトローの町にまた新たな伝説を書き加えてしまったのだ。
このことからスタージスのラリーがアウトローバイカーが集まるイメージを生み出してしまったかもしれない。まあその後84年にも暴力事件があってますます伝説は磨きをかけてしまったのだ。そんな昔話でした。

50th Sturgis Rallyから25年

photo今年の夏のスタージス・ラリーは75th記念となる。この写真は25年前の50th記念の年のものだ。どんなスタージスとなるやら…
先日今年のスタージスに参加したいという若者がたずねてきて、会場の受付はどこかと聞いてきた。この20年ほどの日本で定着したミーティングシステムの中で育ったのだから仕方も無いが、今となってはこの世代はこのラリーの成り立ちについて知らないのだろう。このバイクラリーに憧れて数々の日本型のバイクミーティングが生まれ育っていたのだが、僕もその責任者の一人として改めてこのラリーについて書いておかなければならないだろうと思った。まあアメリカでもこの国でもバイカーという言葉やハーレーダビッドソンというバイクがビジネス中心に一人歩きしてこうなったと窺える。スタージスについての場所や成り立ちは検索すれば一目瞭然なので省くが、僕としては20数年前にラリーを”集う”と訳して原稿を書いていた頃を思い出す。
集ったのである。どこからかバイクで走ってきたりトレーラーでバイクを運んできたりと、この八月の第一週にブラックヒルズ国立公園内のスタージスという農業都市にバイクが集まってきたのだ。もちろん主催者はいるが50万台ものバイクがこの小さな街に集まってしまったのだ。正月のSAの集会と変わらないケタはずれのものともいえるかもしれない。小さな町のモーテルの部屋数等これまたケタが違いすぎるぐらい足りないし、スーパーの食品売り場もカラカラになってしまう。何よりも酒類とガソリンが大変だった。また荒っぽいのもたくさんいて銃の携帯が許されているサウスダコタ州だが、その時期の銃の数も半端ではなかった。だからその頃のスタージスは州警察も含めて参加者も尖っていた。ただその分だけアメリカ的な自己責任が発生していたのだ。暗黙のルールとテリトリーを守り、自立したキャンピングが成り立っていなければならなかったのだ。
しかし、この50thを期にこれだけ人の集まるイベントをビジネスが見逃すはずが無い。先ずは不動産業が動き、町や市もだまっていない。もちろんハーレー業界とて見逃す手は無い。街の地代は上がり大モールやモーテルチェーン、ファストフードとあっという間に動き始めたのだった。またこの頃冷戦時代の大陸弾道がセットされていたサウスダコタの高原から撤去され、州としても国からの援助も不足し、この観光大イベントに乗り出してきたのだった。
しかしここがアメリカの良いところなのだが、スタージスは誰のものという運動がバイカーたちの手で起きた。結果的にはバイカーが形の上では勝ち、これまでに利益やシステムを確保したビジネスサイドは表立たないように回った。そのせいだかどうか知らないが、メインストリートの垂れ幕が”ウエルカムバイカーズ”が”ウェルカムライダーズ”という言葉に変わったりとチンケなことがたくさん起きた時期もあった。
でもこのラリーに参加し続けていた当のバイカーたちは何も変わること無く、自分たちのスタンスでこのラリーを楽しんできたのだった。だから何も変わらず自分のことは自分でやらなければならない。もちろん参加費等存在しないし、記念にエントリーをしたいのなら、相変わらずジャックパインに行けば出来る。ただただ、以前と同じように自己責任の基に、この街に今年も多くのバイカーが集まるであろうということだ。好きなタイプも嫌いなタイプもたくさんやってくる。だからこそアメリカ的なイベントであり続けることが出来るかどうかの、75th記念のラリーということになるのだろう。

 

古い写真ですが…

photo以前の写真整理をしていたらちょっと気になる写真がありました。
僕は2つの輪のモノが登場するとついついカメラを向けていたのですが、最近の写真とは少しだけ違うなあと思うのです。まあ僕がフィルム世代なので古い写真というポジションで見れば良いのでしょうが…このロケーションは80年代のエクアドルのビーチです。まあ東洋人の僕がカメラを顔の前にあてて写真を撮っているのです。そこを歩く少年たちと自転車を押しながら通り過ぎようとする若者です。インターネットが世界中に届いていて、写真どころか動画が身近になった今日だったら、異邦人の構えたカメラに若者は何気なく少しだけも微笑むでしょうか。
大昔には写真に魂をとられると信じていた時代があったと聞きます。この時期でもアフリカの回教色の強いところなどでは、子供を撮ろうと向けたカメラに親が大声で怒鳴りつけてくることはありましたが、この写真にはそんな敵意が感じられないのです。この頃の南米でもあちこちで紛争があって、銃を抱えた兵隊にクルマを取り囲まれたりすることはありました。でも拿捕されるようなことは無かったです。そんな時代だったのですかねえ。
まあ、最近のカメラは何でもかんでも写し撮ってしまうので、だれもが撮られることに意識があるということなのでしょう。精度が上がった分だけ写し込む側の意識が求められているのでしょうか。写真が難しくなったなあ。L & R

いないよね…最近

photo70年代のバイク誌を見ていたらこんな気持ちいい品のある”ふぁっくサイン”を見つけました。若い金髪の女子だったから気持ちよく受け入れられるということだけではないと思います。この人も今となっては60を過ぎたそれなりのオバさんにというより可愛いお婆さんなっていると思うのですが、これだけすっきりとした明るさは、近年のバイクシーンや街の若者のシーンに日本でもアメリカでもなかなか見かけません。この頃に”PAECE”とか”LOVE”だとかいっていたわけです。
この時期にはアメリカはベトナムでの戦争はとりあえず終わっていたのかなあ。でも衛星画像でコントローラーを使ってのものではなかったはずです。彼女には”ふぁっく”の相手がこの写真を撮ったカメラマンのもうひとつ向こう側にはっきりと見えていたのではないのでしょうか。
このところノスタルジックにFTWを使った表現を多々見かけますが、FTWは”ふぁっく to the world”だったり、”Forever Two Wheels”だったりと、この頃には色々な使われ方をしていました。まあどっちでもいいのだけれど”ふぁっく”はとても古い英語で長い間使われていたのだけれど、この下品な言葉ですらグローバルな世界ということで英語圏を飛び出して、意味合いがちっとばかりこの数十年で変化しているのかなあ。僕がバイカーの写真を撮り始めたのは、こんな頃のアメリカが好きだったのかもしれません。