50th Sturgis Rallyから25年

photo今年の夏のスタージス・ラリーは75th記念となる。この写真は25年前の50th記念の年のものだ。どんなスタージスとなるやら…
先日今年のスタージスに参加したいという若者がたずねてきて、会場の受付はどこかと聞いてきた。この20年ほどの日本で定着したミーティングシステムの中で育ったのだから仕方も無いが、今となってはこの世代はこのラリーの成り立ちについて知らないのだろう。このバイクラリーに憧れて数々の日本型のバイクミーティングが生まれ育っていたのだが、僕もその責任者の一人として改めてこのラリーについて書いておかなければならないだろうと思った。まあアメリカでもこの国でもバイカーという言葉やハーレーダビッドソンというバイクがビジネス中心に一人歩きしてこうなったと窺える。スタージスについての場所や成り立ちは検索すれば一目瞭然なので省くが、僕としては20数年前にラリーを”集う”と訳して原稿を書いていた頃を思い出す。
集ったのである。どこからかバイクで走ってきたりトレーラーでバイクを運んできたりと、この八月の第一週にブラックヒルズ国立公園内のスタージスという農業都市にバイクが集まってきたのだ。もちろん主催者はいるが50万台ものバイクがこの小さな街に集まってしまったのだ。正月のSAの集会と変わらないケタはずれのものともいえるかもしれない。小さな町のモーテルの部屋数等これまたケタが違いすぎるぐらい足りないし、スーパーの食品売り場もカラカラになってしまう。何よりも酒類とガソリンが大変だった。また荒っぽいのもたくさんいて銃の携帯が許されているサウスダコタ州だが、その時期の銃の数も半端ではなかった。だからその頃のスタージスは州警察も含めて参加者も尖っていた。ただその分だけアメリカ的な自己責任が発生していたのだ。暗黙のルールとテリトリーを守り、自立したキャンピングが成り立っていなければならなかったのだ。
しかし、この50thを期にこれだけ人の集まるイベントをビジネスが見逃すはずが無い。先ずは不動産業が動き、町や市もだまっていない。もちろんハーレー業界とて見逃す手は無い。街の地代は上がり大モールやモーテルチェーン、ファストフードとあっという間に動き始めたのだった。またこの頃冷戦時代の大陸弾道がセットされていたサウスダコタの高原から撤去され、州としても国からの援助も不足し、この観光大イベントに乗り出してきたのだった。
しかしここがアメリカの良いところなのだが、スタージスは誰のものという運動がバイカーたちの手で起きた。結果的にはバイカーが形の上では勝ち、これまでに利益やシステムを確保したビジネスサイドは表立たないように回った。そのせいだかどうか知らないが、メインストリートの垂れ幕が”ウエルカムバイカーズ”が”ウェルカムライダーズ”という言葉に変わったりとチンケなことがたくさん起きた時期もあった。
でもこのラリーに参加し続けていた当のバイカーたちは何も変わること無く、自分たちのスタンスでこのラリーを楽しんできたのだった。だから何も変わらず自分のことは自分でやらなければならない。もちろん参加費等存在しないし、記念にエントリーをしたいのなら、相変わらずジャックパインに行けば出来る。ただただ、以前と同じように自己責任の基に、この街に今年も多くのバイカーが集まるであろうということだ。好きなタイプも嫌いなタイプもたくさんやってくる。だからこそアメリカ的なイベントであり続けることが出来るかどうかの、75th記念のラリーということになるのだろう。

 

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