子供がKYなんて言葉をもう誰も使わないようになったからこそいえるが、空気を読むという高度な技術を持たないヤツが、空気を読めなんて言うのは辞めなさい。
昨日原稿でバイカーの存在感を一枚の写真から改めて確かめたくて、その独特な雰囲気について書いていたのだけど、出版される文中ではどうしても格好をつけてしまったり、口実に走ってしまう。結局、自分でも分裂気味で分けの解らない原稿を入稿してしまった。そんな気持ちを引きずりながらまだまだ消化不良なのだろう。ならばここでもさらに芸術してしまおうということだ。
誰にでもコンビニに写真が映ってしまう時代だからこそ、自分の好きな空気が映っていると信じている写真を出したのだけれど、誰かが夕焼けだったころ、オレは胸焼けだ。解んねえだろうな。刷られる写真もオリジナルプリントではないから日焼けの日光写真だ。誌面にそれが映り込むかどうか不安だ。
というか、そんなことはスマホで見るRGBの光画に誰もが馴れてしまっているので、僕の独りよがりであるとも思う。
まあ年寄りばかりの時代になって先の無い時間に慌てまくり、若者だってどんどん焦っている今の時代に、空気感なんてレトロな言葉を懐かしがることも無いのかもしれないが、地味な世の中に向かっているのだからこそ、これを見逃す手は無いと思う。空気です。モノを写し込むのはそのまわりに流れている空気の流れ具合とのやり取りなのではないですか。
そんなことを教えてくれた芸術家の叔父が先日亡くなった。僕は葬式にも顔を出せなかったのでつい芸術しちゃいました。
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