バイクでの存在感って….

photoサハラ砂漠をひとりでバイクと走っている姿をイメージしてみてくれ。三日も四日も360度地平線しかない景色。でも走る目の前には大きなくぼみがあったり、十数メートルもの段差があったり、砂の吹き出しが目の前では壁のように立ちはだかっていたりと走ることに気を抜けない。そこを最低限の荷物と目一杯のガソリンを積んで朝から晩までルートマップをたよりにひたすら走る。まだGPSなど一般には使われていなかったころだ(非常信号用には軍が利用していたがナビはない)。この光景を冒険とか挑戦などという表現は僕には出来ない。バイクが壊れたらじぶんで修理しなければならない。その日のキャンプにたどり着いたら次の日の準備と体の手入れをしなければならない。そのなかでも気持ちのケアは最も必要だ。毎日がひとりの人間力とでもいうかその人次第なのだ。そんな中キャンプでその日をたどり着いた抜けきった人たちとの再会は、何事にも変えられない喜びというか、ただただ素晴らしいものだった。サハラというところがそうさせるのだろう。そしてそこを抜けきると誰もの顔が変わってくる。そんな人たちの写真を撮るために五回もそんなバイク乗りを追いかけていたということだ。
僕が何回もアメリカの荒野を走ってきたのも自身がそんなバイク乗りになりたかったからだろう。アメリカの荒野はサハラとは違うが一日中同じ景色の中を走るという意味では砂漠とあまり変わらない。唯一ガソリンスタンドとバー(人に会える場所)が必ずその道沿いには存在していることが重要で安心感にはなっているが、一日中周りの景色は同じで、いくつ丘を越えても同じ景色なんて言うのはざらな大陸だ。
僕らの日常はどうだろう。どこにでもコンビニがあって、ケイタイを誰もが持ち、とりあえず組んだ予定どおりにその日が暮れる。バイクに乗ってミーティングに遊びに行けばこれまた予定通りに宴会で盛り上がって、ことも無く帰宅。勿論これは素晴らしいことなのだけれど、何でもかんでも揃っているからこそ、味気の無い環境にバイクライフを送っていると感じるのは僕だけではないだろう。せめてバイクで走るときはバックロード一般道で走ってみるとか、日頃からメンテの行き届いたお気に入りのバイクで走るなど日常から抜け出したい。そこで手に入れた安心は独りよがりの一方通行的なものかもしれないけれど、バイクとともに目的地までたどり着き、キャンプで同じ様な人たちと出会ってまた確実に家に帰ってくる。そしてバイクともさらに仲良くなる。そんなバイクライフの方が僕は好きだ。そしてキャンプでは隣のサイトの人も同じように走ってきているのだから、ついつい話も弾む。そんなキャンプがあれば充分だと思っている。”雨で大変だった”とか”友達のバイクがトラブってしまって”なんていうことが後になってみれば楽しかったことに変わってくれればいいキャンピングなのだ。それにはそれぞれのトラブルを解消してキャンプまで来なければならないが、そんなたどり着くためのキャンプを提供出来ればと思うのだ。
毎度大げさのようだが世界中でこんな大きな変革期を迎えたこの時期、今こそ自分自身を確定させて社会ときちっと向い合って行かないと、バイクライフすら今後はサバイバルできないかもしれない。ほんとヤバいすよ。それにはたかがキャンプひとつこなすだけのことだけれど、バイクひとつ修理出来ることだけれど、これらのひとつひとつをこなせることが出来なくてはバイクライフを続けることすら簡単なことではなくなってしまうのではないだろうか。それだけのことなのだけれど、それほどのことにも思えるのだ。きちっと準備してきちっと走り、自立したキャンプをこなせる。そしてきちっと帰宅する。だからキンズキャンプの目指すファミリー観というのは、参加者同士がファミリー感覚をもって出会えるということなのだ。などとそんなことを考えながらキンズキャンプを続けている。きちっとキャンプツーリングを出来るということはそれほどのことではないのかな….

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